連休のど真ん中に出勤を入れられて地元民を恨む

地獄のような日々を送りながらも、ようやく長期休暇がやってきました。すべてを忘れ去って地元に帰ることのできる期間です。奴隷船から開放される気分です。

しかし、あたりまえのように休日出勤が入れられ、しかもそれが連休のど真ん中に入れられました。ありえません。

地元を離れて他の地域に勤めたことがある人ならば、これがどんなにヒドイことかわかるでしょう。

この職場、なんだかんだで地元民が多いんですよ。連休の真ん中に休日出勤を入れることをまったく気にしておりません。

唯一、1人だけ「いや、これはありえないだろ!何考えてんだ!」と同情してくれた先輩がいました。言うまでもなく、その先輩も外部からやってきた人間です。

この職場の居心地の悪さは、地元民で埋め尽くされた閉鎖的な風土にあるのかもしれません。高卒の社員などは地元採用で就職したのでしょうか、ほとんどが地元民です。大卒以上の社員もかなりの割合で地元民が混じっており、半分以上が地元民という異常な職場です。

同期のいる他の部署は地元民で埋められているなんて状況を考えると、やっぱりこの職場はハズレな気がしてきました。

私は地元民に生贄に捧げられているのでしょうか。本当にこの土地が嫌いになってきました。

連休中に帰宅しても泣いてばかり

連休のど真ん中に出勤があるとはいえ、最初の数日は地元に戻ることにしました。もう帰らないとやってられません。精神科の受診で戻って以来の久しぶりの地元です。

なんというか、とても気持ちが落ち着きます。見慣れた風景、土地勘のある街並み、住んでいる人間の感性、どれをとっても心になじみます。落ち着きます。

大学を卒業して地元を離れるときには、地元に残るなんてのはチャレンジ精神のない負け組の発想などとバカにしていたのに、今ではコレです。きっと地元をバカにした罰があたったんでしょうね。今では地元が恋しくてたまりません。

1日の終わりがやってくると涙がとまりません。あと少しでまた帰らなければいけない。そう思うだけで気持ちが憂鬱になります。

これってホームシックとは違うと思うんですよ。ホームシックって地元が恋しくなるとか切なくなるとかそういった類のものじゃないですか。私のは「助けて」に近い感情です。もうあの奴隷生活が嫌なのです。罵声と睡眠不足しかない生活。もう本当に嫌なのです。

しかしそれでも時は無情に過ぎ去るもので、再び悪夢の勤務地へ戻らないといけない日がやってきました。

この連休中、ほんとよく泣いたなと思います。親の前でもふとした時に泣いてしまいましたので、親にもいらぬ心配をかけてしまいました。ブクブクと太っていく私を見て心配になったに違いありません。

もうこの土地から離れたい

地元から悪夢の勤務地に戻ってくると、普段の生活がフラッシュバックされてきました。頭痛がします。

連休のど真ん中に休日出勤した際も、周りの地元民が憎くて仕方がありません。連休中に出勤したところで、コイツらは地元民なので何も感じていないんだろうなと思ってしまいます。

つくづくなじめません。会社にもなじめない、人にもなじめない、土地にもなじめない。最悪じゃね?

もう、この土地から去りたくなります。

転職ってやつが徐々に気になり始めました。ただ、転職ってどうも恐いんですよ。レールから外れてしまう気がしておじけづいてしまうのです。実際、同期の同僚も同じことを言っています。「会社は最悪だけれども、ここから離れて他に行ってもそこも最悪かもしれない」と嘆いています。

ちなみに、転職なんて考えがうかんでくるのは、連休でリフレッシュしたおかげで頭が回っているからです。普段は忙しい日々に追われて、そんなことを考える余裕なんてありません。睡眠不足でロクに頭が回っていませんので、何も考えずに毎日を過ごしています。毎日を無事に過ごすことで精いっぱいです。

激務に追われて何も考えられずに時間だけが過ぎていくのってとても恐いことだと思います。

そういや、職場の年配の人が「俺が若い頃は平日も休日もバカみたいに働かされて、気づけばこんな歳になっていたよ」とブラックジョークを言っていましたが、今では気持ちがわかります。

この生活、マジで何も残りません。苦痛だけを感じて毎日が過ぎていきます。人間の構造上、嫌な思い出は記憶から抹消されると言われていますが、この生活の記憶は次々と消去されていって記憶に残りません。それゆえ、ふりかえると時間だけが過ぎていった気持ちになるのです。

なんか、人生を無駄に捨てているような気がしてなりません。

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