働く対価がもらえた時代と現代

過去にとらわれた老人と会話をすると本当に疲れます。何を話しても過去の自慢話ばかり。ホントうんざりします。

それがまだ、自慢話にとどまっているうちは我慢できます。

しかしそれが勢い余って現役世代の批判にまで発展すると手に負えません。

  • 昔の労働者は活き活きしていたのに最近の労働者はめっきりと暗い
  • 昔は中高卒でもみんな積極的に働いていたのに、今は大学まで出ても労働に消極的だ
  • 最近の若者は働くことに対するモチベーションが低すぎる

もうさすがに聞き飽きました、うんざりです。なんで、こんな思考に陥るのでしょうか理解に苦しみます。

いつも思うのですが、そもそも時代背景が全く異なります。

好景気でがんばればがんばるだけ努力が報われた時代と、努力するのはあたりまえでその上での飽くなき効率化を求められ、代償としてなぜか給料が下がっていく時代。労働環境を取り巻く環境がまったくもって違います。

すべては労働環境の違いによるもの、ただそれだけのことです。

昔の若者は積極的に働いていた?だから何ですか?

その当時の若者を現代社会に放りこめば、間違いなく今の若者と同じ状態になりますよ。
若者はその時代を反映する鏡です。

好景気の時代に育った若者は活き活きしていますし、不景気の時代に育った若者は暗い。

ただそれだけのことです。

働く対価がないことを実感しやすい社会

加えて現代は、膨大な情報の中で自分の限界をいとも簡単に知ることができます。

例えば、この会社で○○年働けばだいたいこのぐらいの収入に到達し、 生涯賃金は推定〇〇ほどになる。

などといった「冷めた情報」はネットでも使えばすぐに入手できます。

そうして現代では、一生懸命働いたことに対する対価があまりにもないことを痛感します。

うまみはすべて上の世代が持っていき、そのしりぬぐいをさせられている。

そんな風潮があまりにも蔓延っています。

そんな状況の中で若者の働くモチベーションが上がるわけがありません。

逆に上がっていく方が不自然で不気味です、聖人か何かですか?

アナログでも景気が良く、ただがむしゃらに働いていればよかった時代。今から思えばある意味うらやましい限りですね。

そんな時代は二度とやってこないでしょう、現代社会は効率化されすぎてしまいました。