底辺を量産する貧乏家庭

貧乏は遺伝する。

コレは本当です。具体的には貧乏な考え方は遺伝すると言った方が正しいかもしれません。貧乏な考え方が遺伝すると、本人は普通に生きているつもりでも気づけば貧乏になっています。貧困のスパイラルです。

この場合、要因の大部分を占めるのは親です。親が貧乏な考え方をしていれば子供は高確率で貧乏になる、これは間違いありません。

「貧乏でも努力すれば成り上がることができる」などと言われますが、そんなもの例外中の例外です。仮に貧乏な考え方を持った親の元に資質のある子供が生まれたところでどうなりますか?まず、資質を活かすことなく埋もれていきます。

仮に経済的に貧乏であっても、親が子供の資質に気づいて伸ばしてあげるような親だったとしたら、それは金銭的に貧乏なだけであって貧乏な考え方を持っているとはいえません。貧困を語る際に、この違いがごちゃ混ぜになっているケースを多々見かけます。

貧乏が遺伝するのは「経済的に貧乏な場合」ではありません、「考え方が貧乏な場合」です。

考え方が貧乏な親の元に生まれた子供は、まず資質を伸ばすことができません。親がことごとくチャンスを潰していくからです。

子供が勝手に秀才になることはない

例えば勉強を例にとると、貧乏な考え方の親は次のように考えます。

  • 勉強なんて頭でっかちになるだけ無意味
  • 勉強部屋や机なんて不要
  • 私たちの子供が勉強するわけない
  • 勉強したところでどうせ伸びない

貧乏な親は「子供の勉強する気力が湧いてこない環境作り」に関してはプロフェッショナルです。まず、勉強するようなタイプには育たないでしょう。

そして、自分たちが蒔いた種なのに「子供が自分で勉強を選ばなかった」と思いこみます。貧乏なのは自分たちではなく子供たちが選んだ結果、そう思うからこそ貧乏が治らないのです。子供に至っても、そんな親を間近で見ていると価値観が伝播します。そして、同じことを自分たちの子供にやってしまいます。

まさに貧困のスパイラル、貧困の連鎖です。

そもそも、環境を与えなかった子供が勝手に秀才になることはありません。そんなことがあり得るのなら、勉強する環境のないアフリカの子供たちの中からでも秀才が生まれてくるはずです。

しかし、現実的にはそんなことはありません。秀才の才能があったとしても、それを活かすことなく埋もれているでしょう。子供にとっての親とはそれだけ偉大なのです。

子供ではなく毒親対策が必要

政府が「子供の学力を伸ばそう」「柔軟な考え方を持った子供を育てよう」といろいろな施策をやっていますよね。以前にあった「ゆとり教育」なんてのもその一環でしたっけ。

正直なところ、すべて無意味です。

なぜなら、子供に対していくら対策を施そうが根本的な原因は親にあるからです。毒親(子供に悪影響を及ぼす親)がいる限り、子供にとっては何の意味もありません。

対策をするのなら子供ではなく毒親対策が必要です。

でも、政府はきっと毒親対策はしないですよ。反発されるのが目に見えていますしね。子供ならまだしも価値観の凝り固まった大人は治りません、手遅れです。そんな「毒親対策」に乗り出すくらいなら、世間的に見栄えの良い「子供対策」をしている方がウケが良いでしょう。

事実、子供への対策を行うと、毒親も「勝手に何かやってくれるなんて儲けもの」と思って喜びますしね。でも、結果どうなったかといえば、調子に乗った「モンスターペアレンツ」なる魔物を生み出してしまいました。あれを見るに毒親への教育は本当に必要なんだなと思い知らされます。

ただ、モンスターペアレンツのようなアグレッシブな毒親もいれば、一見普通そうに見える毒親の方がたちが悪いんですよね。

自分の親が明らかにモンスターペアレンツなら、子供も友人の親を見て反面教師にしようと思い立つかもしれません。しかし、ナチュラルに悪い方向へと仕上げていく毒親の元では、子供は知らず知らずのうちに悪い方向へと誘導されてしまうでしょう。そういったタイプの方が悪質です。そして、数が多いのはそっちのタイプの毒親です。

貧乏家庭が底辺を量産するのは政府も容認している

でもね、政府が貧乏な毒親対策に本格的なメスを入れることはないですよ。だって、ある一定数の底辺は社会に必要ですからね。

底辺はおとなく底辺を量産して、貧乏な人間は貧乏な人間を生み出し続けろ。

そう思っているでしょう。実際、優秀な人間が増えてきたら上流階級の人間は困ります。自分の子供の競争が激しくなるからです。自分の子供だけ優秀であれば良いのです。底辺家庭のことなど鼻から眼中にありません。

そんな社会構造に対して一矢報いたいと思う人はマトモです。貧乏な考え方ではないでしょう。

しかし、問題の当事者である貧乏家庭の人間は「そんなことを考えるのはダルイし面倒」と勝負をする気力なんてありません。まさに教育の賜物ですね。

これはこの先もずっと続いていくでしょう。

それゆえ、貧乏な人間は助からないと切り捨てた方が健全になれます。下手に助けようとか考えかたを改めさせようと首をつっこんでしまうと、自分までも底辺家庭に引きずり込まれるかもしれません。